蛍取り

 昭和の初めごろ、2毛作と言って麦を作っている農家が多かった。5月になると麦が色づき黄金色に染まるんや。
 麦の取入れが済むと田植えが始まった。あたり一面が水田になり、緑の苗が微風にうねるようになびく。蛙が合唱をするようになると、夜ともなれば、川の周囲を点滅しながら蛍が飛び交うようになる。お尻が光る可愛い蛍を、子供等はわくわくして待ったもんや。何もしないで待っとったりはしなかったよ。

 毎年、麦を作っているおっちゃんの家で、子供等は麦わらをもらった。なんでやと思うか。蛍籠を作る為や。その頃の子供は、みんな麦わらで上手に蛍籠を作ったもんや。
 底を作ると、麦わらを折りながらずんずんと上に四角に編んでいく。麦わらを足しながら編むと、一番上に持ち手を付ける。太いのや、長いのや、ねじれた蛍籠の出来上がりや。蛍籠の中にはスギナを入れた。
 夜になると、竹箒と麦わらで作った蛍籠を持って、子供等は連れのうて川へ蛍を取りに行った。真っ暗でも平気やった。なんせ、遊びなれた川やもんな。
 顔に当たるほどいっぱいの蛍やった。竹箒を振り回して飛んでいる蛍を追いかけたり、川の両端の草に止まっている蛍を取った。蛍籠の中はぼっと輝いて持っている手が白く膨らんだように見えた。
 蛍籠を机の上に置いて寝た。夜中に目を覚ますと、籠から脱出した蛍が、数匹光りながら尾を引いて部屋の中を飛んでいた。


(注)
 蛍は、どこにでも沢山舞うように飛んでいた。川に点滅しないで光っているのは蛇の眼だから、触ると駄目だと言われ怖かった。しかし、農薬散布で沢山の蛍は一瞬にして消えてしまった。最近“故郷に蛍を残そう”の運動で、あちこちで「蛍の川」の看板を見るようになった。

西播磨生活創造しんぶん「ネットめばえ」 2016年8月1日発行vol.127掲載

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