夜比良神社 川を渡ってお参りに

 昔々、神代の頃のお話や。

 播磨の国に、大国主(おおくにぬしの)命(みこと)様が出雲の国からやってこられた。鮫に皮をはがされた白ウサギを助けた神様や。「国作大己貴命(くにつくりおおなむちのみこと)」とも言われた神様は、この地に留まって、病気や、わざわいを払い、土地を開墾して、夜(や)比良(ひら)神社を作られた。もう一つの話も残っとる。

 これも、大昔の話や。中臣(なかじん)山の隣に権現山がある。大けな岩が突き出とるところに、一晩で八尋(やひろ)(15m)もある白旗が立ったんや。 「われは、伊和の大神なり」と、神様の大声を村人達は聞いた。

 白旗の八尋から、夜比良神社の名前が付いたともいわれとる。今は、もう、大けな岩は無うなってしもたんやと。もったいない話や。

 氏子は、現代は揖保川を挟んで、東に揖保上、揖保中、今市。西に正條、新在家の5ヶ村や。なんで、川を挟んで氏子がと思うやろ。それはな、暴れ川やった揖保川が原因や。ごつう大雨が降ってな、川の流れが変わって、川を渡らんと神社に行かれんようになった。

 けど、信仰心が篤かった氏子達は、船に乗ってお参りをしたよ。昭和の初期まで、揖保川を横断して、新在家と中臣を結ぶ(やひらの渡し)があった。夜比良神社に続く道も(やひら道)と言われとった。橋が出来、自動車が走るようになって、渡し場は無くなってしもた。けど、ゆったりと川を渡る船を、もう一度見たいもんやなあ。

 平成17年には、伝統が途絶えてしまう言うて、新在家の獅子舞が復活した。奉納したときには、年寄りが涙ぐんで喜んだ言うこっちゃ。年番にあたった村が中心になって神様の御恩に感謝してお祭りをする。

 なあ、みんな、四季折々に美しい、鎮守の杜に遊びに来てな。

西播磨生活創造しんぶん「ネットめばえ」 2015年11月1日発行vol.124掲載

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